最初に、このページを訪れたあなたに製作者から厚く御礼申しげます。3DCG動画”Departure”に興味を持って頂き、本当にありがとうございます。そしてここでは、”Departure”をよりマニアックに楽しむために、あなた(視聴者の皆さん)に観てみてもらいたい箇所を製作者が自ら解説します。
”Departure”はナゾだらけ?
まずは、ストーリー(あらすじ)を
”Departure”は言葉による物語の説明がない為、ストーリーを追うことが難しい内容です。ストーリー(あらすじ)については別のページで画と共に解説がありますので、そちらも是非ご確認ください。

「世界観」に特化した”Departure”
さて、物語を構成する3要素に「ストーリー」「キャラクター」「世界観」があります。皆さんがよく目にする物語は「ストーリー」「キャラクター」に重きを置く場合がほとんどですが、”Departure”の制作者は設定に凝るタイプです。個人制作なことを依り代に「世界観」の構築にコストを振り切っています。結果的に”Departure”は「制作者自らが言わなければ(言われても)伝わらない設定」を幾重にも折り重ねています。今回はそういった設定の一部を解説することで、動画の世界観を紐解いてみたいと思います。
キャラクター描写
ルカコさん(主人公)
最初に、この物語の主人公であるルカコさんについて話しましょう。

ルカコです。また皆さんとお会いできてとてもうれしいです。
ルカコさんの記号論的描写


彼女は人の形をしたロボットです。序盤の彼女は無表情で動きも遅く拙い、視聴者にとって感情移入しづらいキャラクターです。




4本のコードとクロス状に結われたかんざしは彼女が自身で動くことのできない状況を表しています。




教会の柵を外に出ることが出来ない鳥籠に見立て、表情に出せない感情を画的に補強しています。
「感情表現」=「感情移入」




後半かんざしが落ちます。この後、いままで一切動かなかった表情が変化します。かんざしは「封印」のように扱われています。


登場の際は不気味な存在だったルカコさんでしたが、後半の笑顔をみることで、視聴者の皆さんが感情移入出来るキャラに感じて頂ければ幸いです。
宗教とテクノロジーの視点
この物語は、ユヴァル・ノア・ハラリさんの著書「サピエンス全史」の前提知識があると呑み込みやすいと思います。
何故なら、この物語は
「AIが人間(ホモサピエンス種)を模倣する中で、宗教という虚構(フィクション)を越えることが出来るのか?」
という疑問の下に作られているからです。
”Departure”に関わる部分に限定して、乱暴に要約すると、
ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・エレクトス、ホモ・ソロエンシス、ホモ・フローレシエンシス、ホモ・デニソワなど沢山の人類の中からホモ・サピエンスだけが人類を駆逐し生き残った最大の理由は「虚構(フィクション)を信じることのできる能力」にあり、国と宗教とお金という虚構(フィクション)により、より社会性を持つ種族に変化していった(でも幸せになったのでしょうか?)
という内容です。この本について要約するWebページも多いですが、是非本を読んでいただきたいと思います。


DepartureはSci-Fi版「失楽園」
”Departure”は”Sci-Fi(サイファイ)”というジャンルの動画です。”サイエンスフィクション”の略で、日本で一般的に言われる”SF”です。科学的な空想にもとづいたフィクションの総称です。



制作者はSci-Fiジャンルの小説家ウィリアムギブソンやアイザックアシモフにも若干影響を受けていますが、世代的にアニメーション、映画監督の富野由悠季監督、押井守監督の影響下にあります。
ルカコさんの学習装置であるDVD-ROMを再生機に運ぶ機械は往年のジュークボックスからヒントを得たデザインですが、他にもモチーフがあります。


格納されたDVD-ROMは旧約聖書の「智恵の実」を、
DVD-ROMを再生機に運ぶアームは「蛇」モチーフにしています。


この機械はルカコさんの学習装置で、彼女の身体的機能と知能をアップデートするソフトウェアをルカコさんに渡します。


ルカコさんは最初のアップデートプログラムから、感覚機能と感情を手に入れます。
上記は彼女がアップデート後最初に目にする絵であるステンドグラスです。
中央のステンドグラスのデザインは「生命の樹」をモチーフにしています。


聖書では人間が知恵と力を手に入れることで永遠に生きる、つまり神に近づく存在にならないよう神が戒めたとされています。
ルカコさんは劇中での行動は旧約聖書のイブと同じです。つまり”Departure”の物語構造は「失楽園」に似せているわけです。
(劇中にアダムとイブの彫刻も置いてあるので探してみてください)
1枚目のDVD-ROMの盤面に隠された意味
ルカコさんの学習装置には2枚のDVD-ROMが運ばれます。DVD-ROMからルカコさんはどんな知識を得たのでしょうか?その中身を紐解きたいと思います。
「目覚め」よと呼ぶ声あり
1枚目のDVD-ROMの盤面に注目してください。
動画ではほんの一瞬なので、ここでは静止画を用いて、一体何が描かれているのかを解説します。


Wachet auf, ruft uns die Stimme Bach-Werke-Verzeichnis 645


音楽ファンならBVW 645 でピンときたかたもいるかもしれません。
これは J.S.バッハ「目覚めよと呼ぶ声あり(Sleepers,Wake) 」の音楽CDです。
大バッハファンであればこのシーンで上記の曲の演奏を期待するのですが、残念ながらここでは流れません。
でもご安心ください。物語の最後に2小節だけ奏でられます。
大バッハを敬愛する製作者は「この”目覚めよエンディング”が作れて幸せ」と大変ご満悦です。
コリント人への第一の手紙


カットは戻りますが、ルカコさんの学習装置のオペレーションシステム起動時に表示される文字に言及しましょう。
こちらは聖書の中の
【コリント人への第一の手紙の一節 第13章】
からの抜粋になります。
ー以下意訳ー
「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。
しかし、成人となった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。
しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。」
この文章は、結婚式などでも使われる有名な一節です。ルカコさんが人としての感情を知る「目覚め」を表しており、”Departure”の核心の部分です。
そしてこの「自分自身を鏡に映したときのおぼろげな像」という状況を、我々人間とAIの関係なぞっているのが”Departure”の物語構造という感じでしょうか?
「目覚め」の伏線
じつは「目覚め」がテーマであることはファーストカットでも説明しています。


最初のカットで、ルカコさんの学習装置がアップで表示されますが、「wake」「sleep」の文字が確認できます。
気付いたあなたは慧眼です★
2枚目のDVD-ROMの盤面に隠された意味
神に背く者


2枚目の学習教材DVD-ROMの盤面に「ή άποστασία(ヘ アポスタシア)」というギリシャ文字が刻まれていることに注目してください。


この言葉は「Departure(出発)」のギリシャ語です。ルカコさんがこれから「Departure(出発)」する未来を示しています。
しかし、このギリシャ語「ή άποστασία」には別の訳があり、聖書では異なる解釈がされています。(今日でも議論があります)。
そのもう一つの訳が「Anitichrist(アンチクライスト)」つまり背教です。
Ⅱテサロニケ2章3節でこの「ή άποστασία」は、Anitichrist(アンチクライスト)「まず背教が起こり」と訳されます。


この文章が表示された直後に、ルカコさんの学習装置は節電モードに入ります。
文章はⅡテサロニケ2章3節の引用です。
ここで「Anitichrist(アンチクライスト)」という言葉が2度使用されていることが確認できます。
ー以下意訳ー
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。
この一節は、人のもつ「人工知能に対する不安」を言い当てる文章と考えられはしませんか?
電欠?拒否反応?
そして、この後ルカコさんの学習装置は太陽光を失い電力不足により停止します。
起きたことのみをとらえると、ルカコさんの学習装置が(誤訳かもしれませんが)「Anitichrist(アンチクライスト)」という言葉に対して拒否反応を示したように描いています。
これは製作者の「私たち(サピエンス種)が生き残り、隆盛を極めることが出来た要因の一つである、フィクション(とりわけ宗教)を越えることが出来るのか?」という問いかけです。
ちなみに、サピエンス全史の著者、ユヴァル・ノア・ハラリさんも、続編として人が神に近づくことをテーマとした書籍を書いておられます。


この物語には「Departure(出発)」と「Anitichrist(背教)」の2つの側面があり、とりわけ、「出発には背教が伴う」ことを暗に示しています。
技術の革新
”Departure”は作中、時間の操作を行っていますが、その中で革新(進化)を表現している箇所がいくつかあります。映像的でわかりやすいので本編でも確認してみてください。
建築様式の革新







一つの教会の中に異なる建築様式が混在することに違和感を覚えるかたがいらっしゃいましたら、是非フランスのシャルトル大聖堂をご覧になってください。左右非対称のファサードは圧巻です。
絵画表現の革新




映像表現の革新(ルカコさんの視点)






3DCG表現の革新(ルカコさんの学習データ転送時)






メイキング映像などでCGや実写合成の過程を映像素材を重ねながら本編映像が完成していく様子を視聴者に見せる手法を「ブレイクダウン映像(VFX Breakdown)」と言います。”Departure”ではメイキング要素を本編映像に直接取り込むことで数十年の3DCGの進化を数十秒で見せつつ、同時にルカコさん自身の進化を視聴者が視覚的に体現できる仕組みにしています。
トリビア(小ネタ)
物語の仕組みについて大まかな解説が出来たところで、少し細かい箇所にも触れつつ”Departure”のナゾにせまりたいと思います。
キラリさん(もう一人の主人公)
ルカコさんと対をなす、もう一人の主人公であるキラリさんにも登場していただきます。



キラリです!また皆さんとお会いできてとてもうれしいです!
彼女はルカコさんの状況をメタの視点で表現する重要な役割を担ってくれています。すこし紐解いてみましょう。
それぞれの「目覚め」




キラリさんは目を閉じた状態から始まり、目を開けた状態で物語が終わります。




ルカコさんは目を開けた状態で目覚め、目を閉じた状態で物語が終わります。
2人は映像的な韻を踏みながら常に非対称の存在として描いていますが、共通点も見出すことが出来ま
是非探してみてください。
青いバラ
キラリさんは何故バラを捨て、白い一輪挿しに変えたのでしょうか?




答えはバラの色にあります。青いバラは自然界には存在せず、遺伝子組み換えの技術が必要です。




これも所謂イースターエッグの部類ですが、青いバラにはデウス・エクス・マキナ「機械仕掛けから出てくる神」のギリシャ語である「ἀπὸ μηχανῆς θεός」 のロゴが描かれています。ルカコさんの学習装置と同じメーカーです。
キラリさんが「作られたもの」に対する拒否反応を示す点については、すこし議論の余地があると思います。


ちなみにデウス・エクス・マキナという言葉は物語などで「御都合主義でピンチを乗り切る展開」を指す言葉でもあり、DVD-ROM読み込み機でしっかり画面に映すことで「本作は今から強引に話が展開します」という製作者のメタ的な言い訳の可能性もあります。
プログレスバー


ルカコさんの学習システム起動後はプログレスバー(進行度を示すグラフ)はマンセル色立体を用いて豊かな色域を表現しています。


後半電力量が下がりエコモードに入るとプログレスバーは平面的に劣化します(デザインも90年代のSFチックです)


最終的に電力が途絶え画面が崩れます。実はこの色が赤、青、緑(RGB)の三原色の粒子に分かれながら崩れていきます。現代のディスプレイ技術である色の三原色を表現することで、相対的に多色表現のマンセル色立体より表現が劣化していることを示しています。
絶望と希望
この作中では、絶望と希望の両方が宗教(キリスト教)の土台の上に成り立っています。


教会でのラストシーンで光に照らされる彫刻は聖ユダ・タダイです。十二使徒の一人でありながらイスカリオテのユダと同名だったため「忘れられた聖人」と呼ばれています。
守護対象は「絶望的状況にある人、敗北者」です。
Departure”出発”が叶わないルカコさんの絶望に寄り添い見守る守護聖人に光を当てることで、彼女は見守られ孤独ではないことを描写して終わります。
ちなみに、ルカコさんの名前の由来である聖人ルカの守護対象は「医者、画家」です。
制作者よりコメント
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。お疲れさまでした。
”Departure”は「言わなければ(言われても)伝わらない世界観設定」を幾重にも折り重ね出来上がっています。この中には、制作にまつわる思いやネタバレを大きく踏み外す「製作者自らによる解説」が含まれます。
通常このような解説は観客が行うものであり、監督自らが行うことは恥ずかしい(ハシタナイ)行為です。それを敢えて行った理由は、やはり製作者の主軸が「作家」ではなく「教員」だからなのだと思います。今回の解説が若い作家さんたちの制作における思考トレーニングの一助になれば幸いです。そして、観てくださった皆様に改めて感謝を申し上げます。